狸に芝居を教えられた人

昔々のお話です。坂本の辻やんと佐太やんの2人が、徳島から帰りのことです。と ことこと歩いてのことで、だいぶ夜もふけた頃、与川内と坂本の境あたりにさしかか った時のことです。

「辻やん、あんなところで芝居やんりょるぞ。」坂本と与川内境の川向こうは、芝居 などするところでないはずです。「佐太やん、こりゃおかしいぞ。」そんなことを言い ながらも、芝居好きの2人は芝居小屋に立ち寄りました。

舞台はちょうど太閤記の十段目、光秀が母を刺し妻がいさめいている愁嘆場(嘆き悲 しむところ)で、大勢の村人にまじって2人も夢中になり、見とれていましたが力が入 ってまねてみました。「できる。佐太やん、わい光秀になるわ。」「おまえが立役(芝居 の中の主役)なら、わいは女形(男だが女の役ばかりする人)をやるぞ。」2人が得意げ に話しました。

その時、突然にたくさんの犬がほえだしました。するとどうしたことか、一陣の風 とともに芝居小屋はくずれさり、2人は田んぼの中で目が覚めました。村の人たち は、2人はきっと狸に化かされたのだとうわさしましたが、2人はそんなうわさに耳 をかさず、神様が教えてくれたのだと言って一生懸命に練習に励み、明治の初年、坂 本の芝居舞台で活躍し、他の村へも出かけてその名人ぶりを発揮したということです。

狸に芝居を教えられた立役は山中辻吉さんであり、女形は下屋敷の美馬佐太郎さん の、若き日のできごとと言われています。

『勝浦の民話と伝説』より