安部民部の千両箱

昔、坂本の郷に「安部民部」という人が住んでいました。長者というのは、権力と多 くの財産を持っていて、村人から大変尊敬され、色々なことを相談されていました。 当時の坂本村は、特別にこれといった産物もなく、少しの畑や、川で魚をとったり、 炭焼きが主なもので、収入も不安定で貧しい暮らしで、毎日の生活にも困っている人 が多かったようです。

民部さんは、何とかして村人の貧しい暮らしをよくしようと、村人たちに田を開い て稲作を、山を開墾して麦や野菜を作ることを進めました。でも、あまりの貧しさ に、それに手をつけることができません。

そこで、民部さんは何かよい方法はないものかと毎日悩んでいましたが、ふとよい ことを考えつきました。お正月の元旦には、多くの村人たちが長者屋敷へ年始のごあ いさつに来ます。たくさんの村人が集まったとき、長者は「みなさん、私は村のあると ころに千両箱を埋めておきました。その千両箱は掘り出した人にあげます。ただし、 この宝探しは『くわ初め』の日から掘り始めるように。」と言い、さらにつけ加えて 「朝日さし、夕日輝く南下がりの岩の下、黄金千両、有明の月」という千両箱を埋めて あるところを、暗示する短歌を詠みました。

このような歌を謎歌といいますが、言葉の間に謎を隠したのではなく、「朝日が照 り、夕日が輝く、いつもお日様がさしている南下がりの大岩の下に、黄金千両を埋め てありますよ。」というわかりやすいものです。この話は、いっぺんに村中に知れわた り、村人たちはお正月も休まずに、ここぞという場所を思い思いに掘りまくりまし た。また、このうわさを知った隣村の人たちまでも、鍬を手に手に掘って掘ってしま した。

民部さんの屋敷のあったところは、今では正確にはわかりませんが、村の中ほどの 屋敷の近くと思われるところに小さな谷の流れがあり、そこを「おとぐち」といって大 きな岩もあり、朝日も夕日もよく照り、ちょうど南下がりの地なので、みんなに一番 に目をつけられて掘られた所です。この「おとぐち」は「音戸口」と書くのが正しいのか も知れませんが、このおとぐちの大岩は、昔雨の降る晩には首なし馬が出るという言 い伝えのあるところで、山桜の老木が大岩にからみついてのびており、また、この大 岩の上には太鼓岩といって太鼓の形をした岩がのっていたそうです。いつか首なし馬 の出る岩も割られて岩の下まで探したそうですが、黄金の出た話は残っていません。

しかし、太鼓岩は今でも道ばたに残っています。そこの小道をはさんで岩の上に古 いお墓が3基建てられています。古くなって再建されたらしく、舟形で真ん中に「民 部」とあり「居士」の霊位がつけられています。この民部さんの「千両箱を掘り出せ」とい う話は、民部さんが村人に田や畑を開墾しなさいと言っても、村人が立ちあがらなか ったために考えついた策略で、開墾してみかんや柿を植えたり、稲作をして村人を貧 しさから抜け出させようとしたものだろうということです。

『勝浦の民話と伝説』より

※ 「安部民部」のお墓は、坂本字平野にあります。その東側には小さな谷があり、この 谷のことを通称「みんぶだに」と呼んでいます。