坂本小学校

「ふれあいの里さかもと」の前身、「坂本小学校」は、明治7年の開校以来、平成11年3月の廃校までの間、120年近くの歴史のなかで、多くの人材を輩出しました。ここに、歴史の一端を紹介します。

坂本小学校の歴史

明治政府の学制発布により,明治7年10月10日に,坂本字平野80番地(新居浪江氏所有)の土地及び家屋を借用し,坂本・与川内・黄檗・正木の4か村の共立で,坂本興設小学校が開校されました。
それから時は過ぎ,過疎化や少子化の進行とともに児童数が減少してきた坂本小学校は,平成11年3月をもって,横瀬小学校に統合されることとなり,120年余りにおよぶ歴史に幕を閉じ,同時に坂本幼稚園も閉園となりました。
平成11年3月24日,多数の地元関係者出席のもと坂本小学校閉校式典が行われたのです。平成10年度の児童数は39人,園児数は4人でありました。なお,坂本小学校が開校される以前の,文政年間(1818年~1830年)から明治初期にかけて,坂本地区ではいくつかの寺子屋が開設されていました。
寺子屋の開設には,坂本地域では阿部節庵・阿部庄太郎(節庵の子)・阿部八木蔵(庄太郎の弟)・椎平甚吉が,日浦山地域では日浦近之助が,黄檗地域では細川熊太・吉祥院秀山・吉守道春(秀山の子)が力を注ぎました。また,椎平甚吉・吉守道春は,その後の小学校の開設にも尽くしたようです。

校歌

作詞  高原 喜男
作曲  仁木  正

山秀麗に水清く
みかんの白き花かげに
百歳余る春秋と
学びの人の姿もて
雄々し立ちたり我が母校

♪♪
星より清く光るもの
日よりも強く正しきは
我らが胸の誠なり
ああ燦然と輝くは
色紫の校旗かな

♪♪♪
御教え深く刻みつつ
遙かな歩み行かんかな
龍臥の丘に花咲きて
大和心の雄々しくも
いよよ励めと鐘は鳴る

※ 百歳余るは,10年ごとに変えて年数に合わせる。

沿革小史

明治7年 坂本字平野80番地にて開校
19年 小学校令により坂本簡易小学校に改称
22年 三渓尋常小学校坂本分校に改称
25年 分校から独立し坂本尋常小学校に改称
29年 坂本字坂本39番地の2の1及び55番地に移転し校舎1棟を新築
大正15年 町制により横瀬町立横瀬第二尋常高等小学校に改称,高等科併設
昭和15年 勝浦みかん発祥の地としてみかん祭りを開始
16年 国民学校令により横瀬町坂本国民学校に改称
22年 6・3制の実施により横瀬町坂本小学校に改称
29年 創立80周年記念式典を開催
12,100㎡の学校林を設置(4年がかりで4,500本の杉と桧を植林)
30年 町村合併により勝浦町坂本小学校に改称,坂本幼稚園を併設
38年 プールの完成
50年 創立100周年記念式典を開催し百年誌を発行
54年 鉄筋コンクリート造り3階建ての校舎を新築(工費1億2,695万円)
55年 体育館の完成(工費5,691万円),校舎及び体育館の落成記念式典
62年 「総合的な学習活動」で藍青賞を受賞
63年 校訓石碑を建立,新プールの完成
平成11年 隣接の勝浦町立横瀬小学校との統合により閉校,幼稚園廃止