さかもとって?

坂本地区は,勝浦川の支流坂本川の源流部に位置するため,坂本川が流れ出していく方向(東側)を除くと,ほとんどを山に囲まれています。これらの山々では,イノシシやシカ,タヌキ,サルなどの野生動物が生息し,多くの野鳥も見られます。
また,初夏には坂本川でホタルを見ることもできます。

坂本峠

坂本峠は,坂本と黄檗とを結び,峠を境にして東西の地形や気候に違いが見られます。
峠は,稼勢山の北側につながる標高230mの小山ではありますが,急峻で険しく,この峠を越すことは困難な状況でした。かつて,高鉾(上勝町)や黄檗の人たちは,木炭や柿・梅などを背負って坂本の大きな店まで運び,そこから荷車を使って勝浦や小松島方面へと輸送し,坂本側からは,米や生活物資を背負って峠を越えていました。
そのため,人も荷物も常に坂本に停滞しがちであり,坂本は宿駅のような雰囲気をもっていたようです。現在でも坂本トンネルの東側(通称隧道口)の家並みはそのような雰囲気をただよわせています。坂本という地名がついたのも,このような理由からであろうと考えられています。
さて,この峠を越すためにどのような工事をして交通路を整えるかは,いろいろと迷ったようですが,時間と労力を要するにしても,トンネルより他に方法はないと結論が出されました。難工事が続きながらも,県技術陣の応援もあって当時としては最新の技術を使って施工され,明治43年,工費25,679円を要して,ついに坂本トンネル(坂本隧道)が完成しました。全長123.6m,高さ4.5mであり,厚さ45cmのコンクリートで内部壁面を固めたドーム式の天上をもつ近代的なものであり,当時としては県下最長のトンネルとも言われたものです。
ところで,このトンネルを越えた黄檗地区にも道路工事が進められていきましたが,この工事の都合により,根本から数m埋められた杉の木があります。その杉の木は現在も成長を続け,黄檗の大杉として知られています。
なお,現在では坂本トンネルの南側に,坂本バイパスの一部として,平成2年に工費約13億円をかけて,全長640mの新坂本トンネルが完成しています。

坂本の北側の山々

坂本地区の北側には,佐那河内村との境界に山々が連なっており,中には六郎山(972m)のように1,000m近くにもおよぶ山もあります。
坂本地区の民家のほとんどは,日当たりの関係もあり,北部の山々の麓(坂本川沿い)から中腹(標高300m)くらいに点在しています。昭和50年には,勝浦名東峯越林道が開通し,坂本地区と佐那河内村との間を自動車で移動できるようになりました。東山渓県立自然公園に属しています。
この町村境界付近には,歴史や文化や自然に触れる四国自然歩道の「四国のみち」として,「探鳥のみち」全長23.0kmと「自然を訪ねるみち」全長15.8kmが通っています。杖立権現峠には「四国のみち」の案内板が設置されており,ハイキングコースとして利用できます。

※ 杖立権現峠
標高650m~660mにあり,杖立権現さんの祠があります。かつて峠を越える人は,杖立権現さんの前で杖を立てて旅の無事を祈ったと言い伝えられています。

※ 大川原高原(上勝町・佐那河内村の境界)
標高800m~1,000mにあり,春から初秋にかけて牛の放牧が行われます。あじさいや阿波みつばツツジが美しく,大鳴門橋・吉野川・紀伊水道・四国山地の山々などを眺望できます。

※ 徳円寺(佐那河内村)
標高500m~600mにあり,文政7年(1824年)に徳円上人が開基した浄土宗の寺です。本尊は阿弥陀如来で,シャクナゲの花の名所でもあります。

坂本の南側の山々

坂本地区の南側には,坂本地区の子どもたちが通学している横瀬小学校の校歌にも歌われている稼勢山(かせやま)があります。この稼勢山は,勝浦町のシンボルともいえる標高535mの山です。
山中には,イノシシやシカなどの野生の動物が生息しており,夜になるとシカの美しい声がひびきわたるときもあります。昔は藩有地の草刈山で,松・杉・桧などの樹木は,自由に切ることができなかったと言われています。
稼勢山の坂本側には,少し山頂が張り出したような形の通称「いずもさん」と呼ばれる山があります。出雲の神がまつられていたので,この名がついたと考えられ,その山頂には小さな祠が存在しました。
「いずもさん」のすぐ西を流れる谷には「いずの滝」があり,大雨のあとには高さ20m~30mを豪快に流れ落ちる滝となって出現しますが,源流となる範囲の流域面積が0.2k㎡にも満たない程度であるため,ほとんど水が流れておらず普段は大きな岩が見えるのみです。さらに近年では,周辺の樹木が成長したため,残念ながら,滝が非常に見えにくい状態になっています。この源流地域の谷を散策すると,数多くの二枚貝の化石などを見つけることができます。
また,「いずもさん」の東側を流れる小さな谷は,砥石に使える石を多く産したことから砥石谷と呼ばれています。